100年前にSergey Prokudin-Gorsky(セルゲイ・ミハイロヴィチ・プロクジン=ゴルスキー)によって撮られた写真が、現代の写真動画投稿サイトのInstagramと変わらない写真加工技術だということが話題になっています。セルゲイのカメラの技法はガラス上に、赤、青、緑の三枚の着色フィルターをつけて、モノクロ乾板を連続撮影することでカラー写真を撮るというもの。
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ロシア皇帝のニコライ2世の援助もあり、ロシア各地を撮影して数千枚のカラー写真を残しています。ですが、ロシア革命により紛失した写真も多いといわれていて、帝政ロシア末期の貴重な記録として今もなお厳重に保管されているものも多いそうです。今日はその貴重な写真の一部を紹介していきます。
三色合成の写真技術力の高さ!
こちらは1911年に撮られた写真。地方の民族衣装でしょうか、とても鮮やかな色をしています!
今はアゼルバイジャン共和国となってしまった土地で当時は農村で農業を営んでいた人々。
こちらはウズベキスタンで撮影された一枚。ムスリムの伝統的なカーペットを売っている商人。
らくだを率いている貿易商の少年はアジアの伝統的な貿易商の衣装を着ている。
1915年の大規模なMurmanskムルマンスクの鉄道を敷いた。第一次世界大戦時には武器や軍隊、食料などの輸送ルートとして活躍したという。
路上で煙草を吸う男性、1905-1915年の間に撮られた一枚だという。
アジア系の囚人が収容されている刑務所。鉄のパイプで塞いで逃げ出さないようにしている。
Nilova Monasteryという綺麗な教会だが、1927年には強制収容所や孤児院としても使われ、1990年に政府により教会として返還されたという。
こちらはなんと現在のグルジアの首都のトビリシで撮影された貴重な一枚。1900年以前に撮影されており、当時の人口は約150万人であったとされる。
1911年に建てられたとされるこちらの大聖堂は残念ながら第二次世界大戦でナチスにより一部が破壊されてしまった。
こちらはYalutorovskというロシアの中央にある小さな紡績が盛んな農村の一枚。
そんなロシアも20世紀に入るとこのように機械化が進んだ。今のトルクメニスタンで撮影された機械された紡績機。
この機械もトルクメニスタンにある水力発電装置であるという。1911年に撮られたもの。
現代では当たり前になっているカラー写真技術ですが、当時はもの凄く貴重なもので、時の権力者や富裕層がこぞって高値で買い漁ったりしていたという歴史もあります。先人の技術にただ驚かされるばかりでした。
一部引用:dailimail