海外の名無しさんを翻訳しました
以下、外国人の反応まとめ
翻訳:https://goo.gl/jlhUY1
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you – あなた
you – おまえ
you – 貴様
you – てめぇ
you – 汝
you – 貴殿
you – われ
you – おのれ
you – 自分
you – ぬし
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↑自分がyouなんだ
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↑それは寓意なのさ。我々はみんなで一つだと
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↑自分は第一人称にも第二人称にもなるんだ。己もね
それが日本語の面白いところだよ
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↑それは関西人だけに通じるんじゃないかな
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↑you そなた を忘れてるよ
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↑そなたは汝じゃないの?
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↑日本語はいつ簡単になるんだ?
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↑どうして、日本は、同じ意味でそんなにたくさん単語があるんだ?
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これが、僕たちが英語がよくわからない一つの理由だよ。僕たちは、年上の人達や地位が上の人たちに「君」なんて言えない
皇帝にもYouって言えるのか?もちろん言えないだろ
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↑なんて言い訳だ
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↑日本人じゃないから、君はわからないだろ
相手が誰かによって、違う動詞を使うんだ
例えば、「君のところに行くよ。」だったら、「行く」っていう動詞を使う
でも、顧客だったら、完全に変わるんだ。「お客様のところへ伺わせていただきます。」になる
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日本語では、主語を省略することもできるんだよ
実生活では、ほとんどの場合において、「私」は使わないけどね
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↑英語では、主語の省略は命令形だね
でも、日本語の命令形は、形が変化するんだ。だから、日本語は、ほとんどの場合において主語を使わない
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「日本文化」があるからこそ、日本は99%が日本人なんだ。アメリカは白人が60%だけだけど
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英語には二人称の複数形がない
英語には、女性形とか男性形の二人称がないし、三人称複数もない
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↑ヘブライ語は実在の言語ではない
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I-我(わ)
I-我輩(わがはい)
I-わい
I-わん
I-某(それがし)
I-拙者(せっしゃ)
I-あれ
I-あたい
I-あっし
I-己(おのれ)
I-自(うぬ)
I-麻呂(まろ)
I-余(よ)
I-朕(-ちん)
I-小生(しょうせい)
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getっていう言葉があるだろ。ポルトガル語では、たくさんの意味があるんだよ
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↑ポルトガル語は知らないけど、スペイン語では、conseguirが、getの一番正確な訳し方だと聞いたよ
君の名は
your name
これだけ見ても英語はあまりに乏しすぎる
味気ないにも程があるだろ
どっかで Your name is が正しいんじゃねってツッコミ見たな
こういう単純さは法規文書のわかりやすさには繋がるけどね
日本語の規格、法律文書は非常にわかりにくい
おれは国内の規格、海外の規格絡みの仕事してるけど、国内規格がIECやISOそのまま引用してるときは英語の原文のほうを読んだりする
日本語だと、どういう意味?ってのが原文だと明確に理解できるんだよな
理解した内容を日本語にすると、日本語にした本人にはわかるけど、理解してない人が読むと、どういう意味?ってなる(笑)
日本語って正確にものごと伝えるってのは苦手な言語だと思うわ
分かり難いのは実はネイティブだと分かりにくいんだよ。
感覚的に処理できない言語に置き換えた方が論理的になるから
英語ネイティブの人は他の言語にした方が実はロジカルになる
それに英語も別の読み難さはあるんだよ。歴史的に積み重なっていき形骸化したりするか無意味な法則性とかが存在しているし中途半端に法則が適応されるから例外を覚えないといけない。その点に関しては日本語の方が厳格だと思う。異常に厳密に表音文字で発音の法則性とか活用の法則性なんて凶器じみてロジカルだよ。文法的には厳密すぎるから逆に分かり難いくらい。
英語の場合も読み難いのはあって。専門性があがると見知らぬ単語を定義してカバーするから単語自体が分かり難くなる。それと別方向で語彙数を少なくして表現する辞書的な英語とかもあって、その場合は慣用句でカバーしてるので単語は簡単なのにそれはそれで意味が分からないという。
どっかで君の名はの正しい英語タイトルは
whats your name
だって見た。この記事とは少し趣旨が違うけど、センスって大事だと思ったwww
give me not now war
現代の日本でほぼ実用されない単語を自慢気に出されてもなぁ
標準語だと使わないだけで
実は地方では日常的に使われてる言葉が多いよ
伝統的な古い言葉は共通語ではの残らない法則がある。
英語の語彙が異常に少ないのもある意味共通語だからだろうね
日本語も同じで、標準語が一番語彙が少ないし表現力が低い
古い言い回しが使えないからね。
アニメとか大河ドラマとか見ていると、結構普通に使われているんだよなぁ・・
だからこそ、誰もが日常生活で使った事がない単語を知っている訳だけど。日本人って読みやすく簡単にしようとか、難しくカッコ良くしようとか考えてないんだよね。
ただ、面白いから趣があるから使おう、使ってみようって感覚で残されている言葉が多いと思う。しょうもないダジャレといいオノマトペといい、日本人は正確性や利便性よりも少し遠回りした言葉遊びや音の響きを作るのが好きな民族だと思うわ。
標準語ってのは吾輩は猫であるが出版される前に創られた言語。この標準語が創られる前は口頭意思疎通が難題だった。当たり前だはな諸藩に分かれた別々の国だったんだから。
あなたはおそらく自分のことを「己(おのれ)」と言わないでしょう。私も使いません
でも「己の胸に聞いてみよ」の意味は通じますね
「汝~することなかれ」も判るでしょう?
そうすると己も汝も現代に生きている言葉ということになります
「うち」とかも関西じゃ普通にあるし「われ」とかも普通。標準語でいえば「我は~なり」的な古風なのも方言でいうと意外と口語ですら「我」を使っているという。もっと古い「わー」ですら沖縄とかだと普通にある。己も「己(おら)」「己等(おいら)」「おんどれ」として多方面で方言では口語ですら現役だと思う。
活字読もうぜ
>どうして、日本は、同じ意味でそんなにたくさん単語があるんだ?
身分や生まれ育ちで言葉遣いが変わる。
自分の状況や相手にも合せるのが日本文化。それ故に、表現の仕方が豊富。
ちなみに、アホでも覚えられるのが英語。
日本人でも英語を最初に覚えた子供は、その後、簡単な単語しか覚えられないよ。
それだけ、英語は簡単。単語さえ覚えればいいのだから。
小説とか表現が命なのにうまいこと英訳できてんだろうか・・・
だから村上春樹がウケたのかと思ってる
あの人の日本語、英語を訳したみたいに直接的だから
村上春樹は英語が堪能。英語で文章考えてから日本語に訳してる。
だから日本では好き嫌いがはっきり分かれる。
どんな事柄が細かく表現が分かれているかというのは、その文化で何を重要視してるかによる。
モンゴルかどっかでは馬とか羊とかの年齢や特徴に合わせて何十種類も呼び方があるとか。
しかし英語はそういうのが少な過ぎるとは思うね。だからこそ覚えやすい言語としてこれだけ広まったんだけども。
日本だと雨がそれだね
驟雨、時雨、夕立、小糠雨、霧雨、氷雨などなど
>1 英語を勉強すればわかるが英語には空気を読むという認識はないからはっきりと表現するという点では英語が優れてるよ。今の若者言葉は特に意志が感じられない。例えば、これよくね? ~な感じ。~みたいな。~じゃない? 若者言葉じゃなくても、かもしれない、たぶんの%ってどれくらい?人によって違うでしょ?英語は50パーならmay 100パーならwillとはっきりしてるんだよ。だからどっちもどっちでしょ。
日本の時代劇の英訳で、「かたじけない」が thank you だったのはショックだったw
余韻もなにもないやんけw
言語の比較は面白いけど優劣をつけたくはないね。
外国人からの「日本語の優秀さがすげぇww」感が全く伝わってこない件
日本語の一人称と二人称が同じ言い方になるのは、言葉には自問自答語と対話語とがあるからだ。赤ん坊がよく独り言を言って一人で笑ったりしているのが自問自答語で、赤ん坊だけでなく大人も思考するときは自問自答する。友人同士の会話も基本的に自問自答語で、相手を説得することは必要がない。「雨だなぁ」「まったくいやになるね」みたいな会話。
これに対し、対話語というのは何らかの目的のために発せられる言葉である。面接試験の返答や、紙に書くものとしては判決文などが典型。こういう言葉はある目的のために発せられるから、その目的を達成するように話される。上手い下手があるわけである。話し手が聞き手に対し、同意を求めたり、命令したりする。だから、一人称と二人称は必ず別人格なのである。
ところが自問自答語では、完全な独り言と本質的には同じなので、人格の対立がなく、いわば語られることによって用済みになる言葉である。だから話す相手は自分と同一人格であり、本来は一人称を表す言葉で相手を呼ぶことが出来る。わい、おのれ、手前・・・。相手から見た自分で自分を指すのもこれに近い。「先生はお前のことを思って言ってるんだ」とか。まぁこれは正しくは自問自答語じゃなく、それを装った対話語というべきだが。
日本語の季節や色を表現する言葉等はもっと多い。
文章にした時、あなた、君、お前、貴様etc.でそれを言ってる人の感情や立場、相手との関係性まで読み取れる部分もあるからね。
それが英語で全部Youになったら何一つ分からんw
監獄学園3話のガクトの「ゴメン」という台詞が海外では「forgive me.」になっとったな
ゴメンって言葉は謝罪だけをさすわけじゃない
このゴメンは「斬捨て御免」の方のゴメンを指す
同じ言葉でも日本語ってめっちゃ多様なんだよなぁ
方言も混ぜたら、さらにあるぞ。
例ーわて、おいら、
も無いよな。
私、わたし、ワタシ、と、同じ言葉も表現手法で使い分ける。
あたし わたし あたくし わたくし あちし わちし あっし わっし あし わし あたい わたい あて わて ……
ぼくちんバカだポヨーーン!
みたいな言葉遊びとかできるんだろうか英語ってw
もし自分が英語ネイティブだったら、これ見て日本語学ぶのあきらめるわ。
外国語の多種多様な罵詈雑言の数々。
⇒日本語では、バカ、ないしアホ。
そんな罵倒を使うのは小学生位しか見たことないぞ
日本語の悪口は遠回りした婉曲表現がが多くて
直接的ではないけど切れ味は実は鋭い方だと思うぞ
英語でも、イギリス人の英語とかは結構皮肉が利いてて
日本語の悪口に近い言い回しが結構ある
唐変木
船臭い
はんか臭い
おたんこなす
のろま
グズ
他にも未だまだ全然有りそうだが?
お前を斬る
が英語だとkillの殺すで訳されてて
味気ないのかなんか近い音持ってきた洒落なのか判別つかなんだ
三谷幸喜が役者に台詞を配分するのに苦労してて
短いセリフなんだけど片仮名を使うことによってさもカッコイイ
意味のあるセリフだぞって西村雅彦を騙してしてた
ってエピソードが面白かったw
昔から世界は身分制度 人種差別 酷いのが常識 日本国は文化水準が異常までに高まり世界がついてこれないっていうか理解できないだろうなこの先も
英語はたった26文字のアルファベットと限定された文法で構成されてるんだから、最も効率的な言語とも言えるな。言語そのものの表現力が限定されるから、話す調子、顔の表情、ボディアクションで補うしか無いんだろうがね。まぁ、文章にしてしまうと、日本人からすると味も素っ気もなく感じてしまうのは致し方ない。韻を踏む程度のことで補ってるだけだから。
さらに、英語がスペルした通りに発音すればOKになっていれば、最高に良かったんだけどな。
ほぼ発音記号で書く隣国の言語もあるけど、あれもスペルと発音が若干一致しないらしいし。
まあ例えば英語だってbe,have,takeなんかは1単語ですっげー意味違うし
愛:Storge
愛:Philia
愛:Eros
愛:Agape
とか使い分けあるわけだし、それぞれ特徴はあるよね
そんなことをいったら日本語でもいっぱいあるでしょ
仏教や宗教由来の単語を当てたら大体その辺は解決しそう
そもそも「あいする」はloveの役のために当てた字だから
日本語を英訳するとき
めでる
したう
いつくしむ
したしむ
あこがれる
とか全部loveだっていい事になる。ただ原理的にいうと日本語は語彙が増える構造なんだよ。日本語の中に中国語や外国の言語が入り込んでいるから。1文字でも音読み訓読みで2つの単語になってしまうし。漢字が多いから愛でも恋でも慕でも情でも仁でも1文字になってしまう。更にそれをアルファベットにして熟語という単語表現があるんだから組み合わせの通り数がいやでも増える。適当に組み合わせても「恋愛」とか「慕情」とか「恋慕」とか「愛慕」とか「愛情」とか「仁愛」とか1文字とは別の意味を持った単語になっちゃう。しかもそのほとんどの組み合わせに微妙に違う意味が付いてる。それとは別に日本語古来のひらがなに当て字をした別の単語郡があるんだからややこしいはずだよ。
そこに同じ漢字で別の単語を当てる上にそれぞれに語尾変化もあるからな。
「恋する」と「恋う」が同じかって言ったら、活用形まで全部違うという
日本語の文章を英訳すると、ぼかした部分があらわになるよね。
誰が誰に対して何を言ったかとかさ。
英文は、主語や目的語が基本省略できないから。
日本語のままだと、複数の解釈ができる文章も、英文に翻訳したとたん台無しになる。
ガイジンが一番困るのは
一つの漢字に複数の読みがある事。
「生」なんて頻出語でさえ 、いくつある考えりゃ
そりゃ嫌になるだろw
唐語、呉語、漢語、和語
言葉は個々の持つ文化的背景を表す、つまり言霊
もっと決定的なとこで誇ればいいのにw
擬音とか日本語の最たるものだろ?
受験の単語覚えるときは、なんでこんなに同じ単語でいくつも表現覚えなきゃいけないだって記憶してるから、主語や述語を抜いたら覚える量はそんな変わらないと思うけどな。
朽木白哉は「兄」というのを多用してたな
日本人は元々、文字を持たなかった、後で文字が入ってきたがどれもピッタリした言葉が無いため色々寄せ集めたり新たに作ったり工夫し続けている。
原因は、ある感情を文字にした途端、その切り口以外表現出来なくなり正確さに欠けることが多いため。
文字は無くても以心伝心、一子相伝、口伝、伝習、皆伝等豊かな伝達継承法も維持してきた。
それが学習になると論語読みの論語知らずのような弊害を生ずるのである。
そこは嘘をついてはだめだよ
ちゃんと古代文字は出土されてる
ただ、古代文字は淘汰されて漢字をベースにしただけだから、日本に文字がなかったと言うのは間違ってるよ
殆ど日本人しかレスしてねぇじゃんかw
日本語がすごいのは造語能力だと思うけどな。
漢字語+カタカナ外来語で無限に語を作れる。
例えば、
Tea⇒ティー+抹茶=抹茶ティー
みたいな感じ。
中国語では外来語の表記は難しいし、英語もできなくはないが、
Maccha tea みたいな感じで違和感がある。
例えて言うならマッチャティーみたいにカタカナ同士で繋げてるから違和感があるはず。
この造語能力はドイツ語ほどではないにしても、かなり柔軟に語彙を増やせるという点で、外来語受容にはかなり役立ってるはず。
※22
日本にもあるだだろうがw
熟語もしらんのかw
文学的には素晴らしいんだけど、プログラミング言語とはそりが合わない。
一人称のバリエーションだけで日本語の方が表現力が圧倒的とかは流石に止めろ。
形容詞とか貧弱やぞ。オノマトペに頼り過ぎぃ。
別に形容詞も少なくないよ。そもそも単語や語彙数だったら日本語はそんな語彙が少ない言語ではない。
日本語が表現豊かなのは間違いない。
が、豊かすぎて、単語のニュアンスに頼りすぎる部分もある。
全てを文章にしなくても単語の選択と自在な文法操作で伝わってしまう。
英語や諸外国は多少長くなるが、内容でしっかり伝える。
例えば敬語がない代わり、相手を敬う内容をしっかり文章構成したりする。
スポーツ選手のインタビューや街頭の素人インタビューなんか聞いても明確な内容がある。
日本人はニュアンスでごまかしてるような部分もある。
どっちがいいという話ではないが。
ケントギルバートが同じようなことを日本語で書いてたのを読んだことがある
英語だと状況によっては割といい方が決まってる場合が多いとか
これが日本人が英語学習を難しくしてる一番の問題点なんだよね。
難しく考えすぎてしまって、逆に簡単に考える事ができないんだよ。
簡単なものから難しく考える事は出来ても、難しいものから簡単にする事は難しい。
それ翻訳機使うと痛感するね。
日本語から英語訳の時に、日本語単語のバリエーション多すぎて、
なかなか意図する翻訳してくれないw
小説なんかで数人が方言で意見をドンドン発言するシーンは読んでて誰が誰って簡単にイメージわくけど、英訳したら・・・
方言は英語にもあるよ。
ウリ
それ「私たち」な。
私は「ネ」とか「ナ」とか「チョ」
天候を日本語と英語で比較したら凄いことになりそう
天候は日本語にはない天気も多いから、どうなんだろう気候にもよるよね
ググったら 雨の種類、言葉、表現を 91コ集めました とか言うの見つけた
無理だよ日本語強い
エジプトだと砂を現す単語が異常に多いし
エスキモーとかだと雪が多くなる
日本は降水量が多い地域だから雨は多いんだよ
雨が多い代わりに乾燥してないからそっちはすくない
なるほど、天候って言葉に引っ張られた
確かに地域によって気象が違うから当然そうなるな
砂の呼び名は興味沸いたわ
砂嵐の規模とか季節とか、歩きやすい砂丘とか影が長い砂丘とかなのかな
ロマンがあるね
その文化における重要なものは単語数が多いんだよ
モンゴルでは馬糞の状態を表す単語が多い事が有名
この事例は一事象に対する表現の豊かさを表しているが
日本語が他の言語に比べ表現豊かである事の証明にはならない
言語や文化に優劣はないんだよ
どちらも他国との交流で様々に変化したり進化したりするし
古い慣習も、それぞれの国にとっては意味のある大切なものだったりする
理解できないからと言って野蛮だなんだと言ってたら差別がうまれるし
その結果奴隷制なんてものまで行き着いてしまった
お互いの文化に理解を示して干渉しないようにしないとね
相手に合わせるという和の心がない自分中心の国はIとかyouになるんだろうな
他人は自分を映す鏡だから不遜な奴に丁寧な言葉を使う必要がないし困っている人には優しい言葉を使う
それを表現する方法は必ずしも声のトーンだけじゃないからな
日本語は語彙は多いけど、数とか性別に関してはシステム的に存在しないから表現力低いと思う。可算か不可算の違いを単語にいれるという概念自体がないし、複数形という概念もない。冠詞もないから、数が分かり難いんだよね。単語の女性男性の区別もない。日本語は語尾変化でカバーするから単位やかつを含めれば別に劣っているわけではないんだけど、名詞の単語としてみるとやや表現力低い目という気はする。
区別があるから表現力が高いとは単純には言えないな。
一般に、ある属性について区別して表現することが必須な言語は細かく表現し分ける能力はあるが、
反面、その属性を無視した抽象的な表現ができないという表現力の欠如を持つだろ。
例えば、単数、複数を区別するのが必須な言語では、どちらかを明言しない表現が自然な形ではできない。
英語だと「熱い」も「辛い」もHOTなんだよね?
「熱いから気を付けて」と「辛いから気を付けて」は
どう言い分けるの?
※45
スパイシー
中国人の留学生が、「1本、2本、3本の言い方」が難しいと言っていた。
1はPON 2はHON 3はBONと本数で同じ漢字の読み方が変わる
ので覚えるのが難しいらしい。丸暗記をお勧めした。
ミラノ大学のイタリア人が「支度をする、準備をする、用意をする」はどう違うのか?
と聞いてきた。微妙に違うのが面白い。
メキシコ人の高校生にには「日本は、にほんとにっぽんのどちらが正解か?」
とか聞かれた。外国人に聞かれて日本語の特徴が分かるのが面白い。
効かれた
日本語っておもろいよな。
新しい言葉を作りやすいし、使い方も十人十色。
奥が深くて美しい。
大人になって気づいた。
イヌイットの言語では「雪」を表す単語が数十あるというし、
英語で「cow」「bull」「steer」「calf」「cattle」とそれぞれ別のイメージを持って使用されている概念が、日本語では全て「牛」ですよね
なぜそのような使い分けをするかというと、彼らの生活圏において「雪」「牛」が日本より重要であるからで、結局言語の優劣でなく文化の違いなんでしょう
日本語は西洋ほど個人主義が発達せず、他者との立ち位置がより重要であったから人称や敬語が発達したのではないでしょうか
ゲルマン語族は表現が日本語と比較して一意的なのは事実でしょうが、
それにより多くの人が情報を共有しやすいというメリットもあったのでしょう
だからこそ、科学や経済や哲学をあそこまで発達させられた部分もあったのでは
それぞれ良さがあるのだから、傲慢になってはいけないし、逆に卑屈になる必要もないと思います
日本語でも「雪」の表現は多いぞw
「愛」でも同じような事を言ってる人が居るけど
漢字=日本語じゃないからな
和語で考えようね
英語と日本語ですら表現力に差があるのに
日本語より優越した朝鮮語を英訳する労力は日本の比ではないだろう
ノーベル賞を獲れない理由である
文字表現最強と会話ツール最良を比べてもな
※48
牝牛とか雌牛とか乳牛とか牡牛とか雄牛とか子牛とか仔牛とか農牛とか畜牛とか水牛とか種牛とか
色々あるだろ
そういう中国語の流れを汲む別の言語の言葉があるから
日本人の風習にない言葉も漢字の流れで見ればあるんだよね
初めて日本語と英語のギャップを感じたのは、もののけ姫の北米版を見た時。
中学生だったから、ほとんど英語は聞き取れていなかったけど大好きなセリフの時だけガタッってなった。「我が名はアシタカ―!!」 このセリフはサンと初めて会った時に、凛とした大声での名乗り。
英語だと「 I am Asitaka!!」ってなってて当然だけどガッカリした。違うんだよ・・違うんだ。
英語でも1800年代の文法とか表現って多分あるでしょう?
そういう英語を使うと、昔の日本語の雰囲気とかが伝わり易いんじゃないないかと思うんだけどな。
Call me “Ashitaka”.
Feel me with “Ashitaka”.
こんな感じかなぁ。
マジレスすると、フランスと数百年近く小競り合いしてたせいで、元フランス領でも通じるように英語表現が簡略化されてしまった。シェイクスピアの時代の英語とは完全に別物だし。今じゃヒスパニックが使うアメリカ英語で不規則動詞が無くなりつつあるんだな。数百年後には国際公用語としてもっと簡単になってるかもしれん。
まさにコレ
一番大事な事は、日本語には主語が無いという事だよ。
これは、人間の意識進化にとって、重要なことなんだ。
見てるものは、すべて、わたし。という事だ。
なお日本人はその簡単な英語を6年以上学んでもほとんどしゃべれない模様
殆どが読み書きする為の訓練であって
喋るための訓練は殆ど無いからな
単語の暗記なんかも喋るのには適してない
アイ ハブ アン アップル なんて言う奴は居ない
アイバナポー ですわ
確かに日本語の表現力は優れている。
例えば、一人称を英語で”I”という一語が書いてあったとする。
それは”私”という意味を伝える事しか出来ない。
しかし、日本語での一人称では、”朕”の一語だけでも、高貴な人物が”私”と言っている情景が伝わるし、”拙者”と書いてあれば、侍かな?など想像がつく。
たった一語の一人称だけで、情景が浮かぶのは日本語の大きな特徴であり、表現力の源泉でもある。
日本語は行間や空気を読まなければならない。意味が行間や空気にしみ出しているからだ。日本語における言葉は、行間(空気)を指し示すヒントのようなもので、このしみ出したものが日本語を日本語たらしめている。そのために、日本語は曖昧に見えるのだけれど、この曖昧なところがなくなると日本語ではなくなる。
むしろ積極的に意味を曖昧にすることで、儚いものを定着させているように見える。この辺が法律文書や技術文書には向かないと言われる原因だ。だから、明治以前は長く漢文が併用されてきた。しかし、日本語は文学(和歌)に向いている。むしろ和歌の為に作り上げられたようなものだ。
人称が多いのは言葉を発する人の、その文脈(場)における序列を前提にしているからだろう。その意味では英語や中国語のような国際語ではなく、非常にドメスティックな言語だ。放っておくと、いくらでも内向していく言語だとも言える。その為に概念語は漢字や欧米語の翻訳が多い。それで何とかバランスをとっているのだと思う。
その曖昧だ説は本当は眉唾だと思うけどな
むしろ表現したい内容に対して日本語は厳密なんじゃないのかと。脳内で考えている感情を正確に表現したら曖昧なのだから。厳密に脳内の状態を言語化しているだけだと思うんだよ。それに英語でしゃべってもイエスでもノーでもなく質問に厳密に答えると、外人はそれを曖昧だという。例えばイエスが部分的に7割でノーが部分的に3割という説明をしてもそれが曖昧とか言い出すからね。自然科学の分野とかで勝手に単純化したら論理的に破綻したりするから、厳密にどちらでもないと答えるとそれを曖昧だと理解しているようだよ。そういう実際とは違っても単純に記号化する文化なんだと思うよ。欧米人って現実に即してなくてもシンプルにするのがすきというか、数学の数式が綺麗ならそれが真理であってほしい的な美学というか。
孤立語である英語だと語順や文法をずらすと意味も変化するし文章としても成立しなくなる
でも膠着語の日本語だと助詞で各決定された単語+述語だけで文章として成立してしまう
おおまか標準的なスタイルはあるけど、助詞の選び方と単語の語順はかなり
変えてしまっても意味は通じる
で、スタンダードとの違いは全部ニュアンスとして意味を持つ
こんなシンプルで自由度の高い文法の言語をネイティブにして育ったら
他の言語を覚えるのはしんどいな 制約が多すぎて
※51 それらの単語については、全てに「牛」という言葉が使われていることからも分かるように、「牛」という同じ概念を便宜上使い分けるために接頭辞を付けているという意味合いが強いと思います
英語で言えば、雌牛、雄牛、仔牛についてそれぞれ
female cow、male cow、little cow
と表現しているようなものではないでしょうか
英語ではそれぞれに違う単語があてられているのは、英語圏の人々が、雌牛、雄牛、仔牛のそれぞれを別の概念として、明確に異なるイメージを持っているからでしょう
日本人にとって蝶と蛾は違うカテゴリーで全く異なるイメージを持っていると思いますが、フランス語ではどちらもパピヨンでフランス人にとっては分ける必要のないもの
言語は世界を切り取る(カテゴライズする)ツールで、文化に多大な影響を与え、また影響を受けます
male cowはちょっと笑った
牛については食文化から来てる物だと思います
日本の場合は出世魚なんかに相当するのかもしれない
旬の時だけ名前が変わったり、卵持ってると名前が変わったり
別の概念というより、いかに美味いか、どのくらいの価値かという事で呼び名が変わるのではないでしょうか
当然異なるイメージは持っているでしょう
まぁ言いたかった事は、日本ではすべて牛で済ますのではなく
その異なるイメージを表現する手段がありますよって事です
フランス語はよく知りませんが蝶と蛾が別の物であるという認識があるので
夜のパピヨンなんて言い方をするんじゃないでしょうか 彼らはちょっと変わった皮肉屋ですし
「私はね」「私はねぇ」「私さぁ」「私はぁ」「私って」のように、「私は」の語尾を変えるだけでも全然印象が違ってくるし、その時の感情や人となりまで知ることができる。
俺は英語が話せないけど、もし英語圏で暮らさなければいけなくなったとしたら、感情が上手く伝えられずに頭がおかしくなりそうだ。
>英語で言えば、雌牛、雄牛、仔牛についてそれぞれ
>female cow、male cow、little cow
>と表現しているようなものではないでしょうか
それは日本語の表現の問題なだけで単語としては間違いなく単語だと思うけどな。逆に法則性すらない英単語の非合理的な組み合わせに比べて簡略化されてもなお、雌牛、雄牛、仔牛の文字としての合理性の高さは異常だなとか改めてみたら関心するくらい。
まあれがダメだっていうなら子牛ではなく「犢」、「㸬」、「犙」「牭」とかみたいに牛部が付いた古い漢字になるけど、それでも雄ではなく牡なら雄牛で、牝なら雌牛なのだから中国語が凄いというか語論理的な整合性が高いというか。まあ漢字自体が牜で牛部を横につけてんだからダメっていったら漢字がそういうシステムだからどうしょうもないが。それは日本語の単語表現や文字のシステムがそういう仕組みなんだからしょうがないんだよね。
はっきり言って、例外の多い英語文法は日本語よりも難しい。会話に限れば日本語は例外の少ない言葉だ。過去を語るのにその中に出てくる動詞の不規則な過去形を覚える必要がある。ただ 〜した と付ければいい日本語の方が文法としては覚えるのが簡単だと思う。
そういう意味で韓国語はただ事じゃなく日本語と文法が一緒。単語が日本語由来だらけなのは日本が統治してたからとしても、ちょっと学習してみれば愕然とする。日本由来の前方後円墳が半島にもあったことからもむかーし日本人の勢力図が列島に限定されたものではなかったようだ。
韓国語の文法が驚くほど日本語っぽいのは日本統治時代に日本人が韓国語の文法を整備したから
yes7割No3割を厳密に表現するのに全力を注いでる説は好き
これだけでも日本語の価値は絶大(人間の本質を突いてる)
弊害もあって
日本人でも日本語の本質を習得できず、曖昧に流れたり、単純化し過ぎたりしてる感はある
その歩止まりの悪さがあっても日本語が好き
「これ自分のやろ、自分のちゃうで」
「自分て自分のこと?」
「自分は自分のことやろ」
「ほなら、自分のちゃうわ」
「すまん、よう見たら自分のやったわ」
どのコメントも素晴らしいですね。 教養がない人には書き込めない内容ばかりで、いちいち納得です。
私も活字中毒なくらいの読書家ですが、本当に日本語の表現方法は美しく、多彩で、この文化のある日本人に生まれた事を誇りに思います。 自国の複雑な日本語が嫌と言う、否定的な反応が、ほぼ無いのも嬉しいです。
ハングルの文法は日本人が統治中に作ったものだから当たり前です
ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化云々
英語が世界共通語みたいになった原因の一つがこれなんだよな
他言語よりも覚えやすいってのは特徴の一つなんよ
日本語は1人称2人称を使い分けるだけでその時の相手との関係性や感情を表現するって機能がある
あなた、君
てめえ、貴様
この違いだけで状況と感情が想像できる
最初破線に見えてなんのこっちゃと思ってたけど”I”か。
日本語の凄い所は文面だけで書いた人の大まかな性格が分かる所。
Misiaの歌詞は落ち着いた大人しい女性の感じ。
ジュリマリは可愛くおてんばで、起伏の激しい元気いっぱいな女の子のイメージ。
他に、英語を翻訳してるサイトの管理人はどうやって書き手の性別を決めてるんだろう?
車関係なら男性、化粧関係なら女性が多いのは分かるけど、もしかしたら車の好きな女性が書き込んでるのかもしれない。化粧に興味がある男性が書き込んでるかもしれない。
心配すんな、日本人でも方言に関しては
わからん場合が多い
こういうのは一長一短だからね
文学的な表現の多彩さはあっても論理的な明解さには欠けるわけで
アメリカの現代ポップス聴いてると、ラブソングのはずが「説明文」になってるのに興ざめ。
カントリーソングは演歌みたいに聴けるが、都会派はダメだ。
日本人としては当り前だけど
日本語を理解してて最も得なのは侘び寂びの理解よりも
超長文の意味を僅かな流し読みでも汲み取れるって事だと思う
あれだけ個性を重視する欧米社会で一人称や二人称に個性がないのは不思議だよね
あと個人的に許せないのは、兄や弟、姉や妹を表す単語が無いこと!兄弟間も名前で呼ぶしね
12人妹がいてもみんな兄を名前で呼ぶのかよ!つまんないじゃん!!
兄弟間で順列をつけないことこそ個性を尊重してると思うわ
バリバリ儒教の中国だと、日本なら「イトコ」で一括りのところを、「自分の母の兄の娘」などそれぞれ違う言葉らしいし
日本語なんて方言で同じ日本人でも意味が解らんのが多いのに何が優秀なんか全然わからん
優秀なのは世界共通で話せる言葉が優秀に決まっているだろ
日本人凄いって気持ちよくなりたいんだろうけど見てて痛々しいわー
>優秀なのは世界共通で話せる言葉「が優秀」に決まっているだろ
「」内は要りませんね。文頭の「優秀」と重複してます。
母国語くらい過不足なく書けるようになりましょう。
世界について語るのはそれからですよ。
「数ある言語の中で」優秀「な言葉」なのは世界共通で話せる言葉が優秀に決まっているだろ。
と言いたかったのではないでしょうか?
行間に隠されて省略されている部分を読み取れる様になりたいものです。
母国語ならば尚更です。
>数ある言語の中で優秀な言葉なのは世界共通で話せる言葉が優秀に決まっているだろ。
↑
この文も間違ってる。
・「AなのはBだ」←正しい
・「AなのはBがAだ」←誤り
例「綺麗なのは赤い花だ」←正しい
「綺麗なのは赤い花が綺麗だ」←誤り
いっその事、英語を日本人が監修して英語+αの新しい言語を作ればいい
そしたら英語も表現力豊かな新しい世界が開けるんじゃねーの?
エスペラントじゃダメか? エスペラントは英語と日本語の文法の差を
直訳するよりは大分マシにできる国際補助語なんだが…?
I-わん
ってなんだ?
まぁブッダが生まれる約600年、キリストが生まれる約300年前からある2670年以上続く国(クニ)なので
言語が八咫ら(矢鱈:やたら)滅多らに複雑になっちゃうのも仕方がないんじゃないかなぁ?
今もなお和製漢語を含めた造語や新語に外来語もボコボコ生まれてるし?
昔から煙草吸い吸い文字の羅列を飽きもせず眺めて綴って云々してられる…こんなド変態国民で良かったです。
よ く ぞ 日 本 に 生 ま れ け り ッ !
表現力に優れているとはいえ、使いこなすに難し過ぎて結局はクソ言語
「伺わせていただきます。」
なんか変な日本語だな。
間違ってはいないけど、二重敬語だから違和感あるよね。
本当だったら「伺います」の方が良い。
日本人:否定形の質問に肯定で返す→否定
外人:否定形の質問に肯定で返す→肯定
ここがよくトラブルの元になる・・
あるあるw
日本語って色の表現は多彩だと思う。
特に海の色、空の色、山林の色を表す文字数、色数ったら覚えきれない程ある。
最近は春先の「あおあおとした しんりょくの・・・」 なんてアナウンスに首を傾げる人も増えて来てるので、その辺の教育もテストに出ないからとかで止めてしまったんですかね。
何とも残念です。
ワイ
一般的に広く知れ渡っていた方言が、共通語に排除されずに共通語の一つとして生き残ったからこれだけ多様なのかな?
まあ、なんにせよ、ナショナリズムを考慮すれば長期間に渡って恒常的に識字率が高くないと、こういうことは起きづらいかもね。
表現がいろいろあるのは外国人が日本語を習得する妨げになるから
統一・簡略化しようなんて言う勢力も昔からいるんだよね
5の方へ
「わー」は最も古い沖縄言葉なんですか?
秋田でも、「わー」=私、我、で現役言葉です。
古語は日本の辺境に残ると言いますよね。
小学生の時、秋田言葉は、「千年前の標準語」と言う先生がいました。
平安貴族が使う、「ま食らう」は、「まぐらう」(大飯を食う)に変化しましたが現役言葉です。
日本文化が途切れることなく重積
88の続きです
(日本文化が途切れることなく重積した)結果が語彙の豊富さにつながっているという事。
沖縄言葉は平安時代の言葉が多く残っていると聞いたことがある。
>>日本人は正確性や利便性よりも少し遠回りした言葉遊びや音の響きを作るのが好きな民族だと思うわ。
未だに新しい言葉や言い回しが生まれ続けてるしね。世間では頭が悪いと叩かれてるギャルも作る。
日本人でも難しい言語だけど、表現がどこまでも広がるところが好きだわ。
表現の豊富さでは日本語にかなう言語はないと思ってるけど
簡潔さや伝わりやすさは英語には敵わんね
誰がそれがしやねん!
自動翻訳ソフト作るの大変だろうな
二人称複数形、あなたたちは、all of you, you guys意外にどういう表現があるんだろう。
でもこういうスレを見てこんな多国語を覚えようという気にはならないなw
ああ、でもドイツ語の複雑さも似たようなものか。
僕やつがれ
どの国もほとんどのやつは自分たちの話す言葉が一番だと思ってるね
パックン「あと、日本語って“けなし文句”がすごく少ない言語なんですよね。バカと
かアホとかはありますが、英語は多分その1,000倍はありますよ!」
なるほど、日本人がいつもストレス溜めてるのは、けなし言葉が少なさすぎてまともにストレス発散できないのが理由だったのかwww
日本語のしょぼい部分には全く触れずに「私」だけを取って「日本語は世界一表現力が高い(ホルホル〜)」なんて自己満足に浸っているニッポンジンはいつまでたっても英語はおろか外国語は習得できないだろうなぁ爆笑
日本語ホルホルジャッ*さんたち、優秀な日本語を当たり前のように操るわけだから、英語で何か書いてくださいよ?どうせ「simple english」が精一杯でしょ?
パックンみたいな日本で活躍している外国人が「日本語ってルールが明確で覚えやすい。英語の方がややこしい(←実際にインタビューでそう語ってた)」って言う方がよっぽど信用できるよな。
👹表現力が無いから海外は漫画大国になれないのだ
パッ君ッてバカとアホの二種類しか知らないのか。何年も日本住ンでるくせに。
prettyとcuteの違いが分からん
難しいのは自慢にならないだろう
儒教の弊害
国々を球体国旗キャラにした Poland Ball という漫画表現がある。
多数の無名素人が作っているジャンルだが、約束事は共有されている。
国々を象徴した球体キャラそれぞれは、
母語の名残を残した訛りの強い英語を話すことになっており、
例えば日の丸球体の日本は、L が規則的に R に変わっており、
音節末の子音に母音 U が付くような訛りの英語を話す。
主要言語のキャラは、Yes No とか人称代名詞とか簡単な単語を
母語のまま英語に混ぜる訛りが設定されているので、
Poland Ball の英語ではキャラを限定する多数の人称代名詞が使われることになり、
その点で少し日本語っぽくなっている。
外国語に表現力がないとはとても思えないんだよねぇ。
外国語の表現を母語の表現ほどには知らないから、結果として味わえないだけで、
外国語には外国語独自の美しい表現があると思うんだけどなぁ。
中学生の頃映画を原語で見たくて必死で英語を勉強した
結果的にヒヤリングと発音はネイティブに近いところまで達したが
大学に入ってからも悩んだのは英訳
和訳は簡単にできるのに、英訳はその表現の狭さからどうしても悩んでしまう
一番シンプルなのを選ぶのが正解なんだが失われるニュアンスの量に鬱になる
江戸から戦前の人たちの外国語の翻訳 すごいと思う
科学用語とか政治経済学用語 全部漢字で意味を含めた表現をしている
今の人はカタカナにしちゃってて 見ただけでは意味がわからない
日本語の表現力はあっても日本人の表現力は落ちてる気がする
正確に言うとそれらって漢語だから、純粋な日本語の表現力でもないんだよなぁ。
漢字を使うようになって細かい概念の使い分けができるから、日本語の表現が豊かになった。
例えば、「みる」っていう言葉も、漢字が有るから、見る、観る、診る、看る、等のように細かい使い分けができるんだよね。本来の日本語はこれらをいっしょくたに使っていた。